2010年04月19日
和歌山市内の銅像2
今回は「稲むらの火」で有名な浜口梧陵です。生きていれば189歳。
広川町出身の人であの「ヤマサ醤油」の第七代当主でした。その銅像がこれ
県庁北別館東側にあります。
江戸時代には商人の身分ながら紀州藩勘定奉行にも任命されています。
また明治には大久保利通の要請で初代郵政大臣にも就任しています。
そして和歌山県の初代県議会議長にも就任しています。
また「耐久社」という学校のようなものを作りこれが「耐久高校」につながっています。
1854年の安政南海地震のさい大量の藁の山に火をつけ避難路を示し村の人を津波から
救った話しは「稲むらの火」として有名ですよね。そのこともすごいのですが、そのあと
約4年もかけて堤防を作ると言う大工事をなんと私費を投じてやり遂げた事です。
その当時のお金で何と4665両だったとか。いったい今ならいくらなのでしょう。
のちに小泉八雲が彼のことを「生ける神」(A Living God)と賞賛したらしいです。
何だか「ヤマサ醤油」も「耐久高校」も少し気になる存在になったなぁ。
広川町出身の人であの「ヤマサ醤油」の第七代当主でした。その銅像がこれ
県庁北別館東側にあります。
江戸時代には商人の身分ながら紀州藩勘定奉行にも任命されています。
また明治には大久保利通の要請で初代郵政大臣にも就任しています。
そして和歌山県の初代県議会議長にも就任しています。
また「耐久社」という学校のようなものを作りこれが「耐久高校」につながっています。
1854年の安政南海地震のさい大量の藁の山に火をつけ避難路を示し村の人を津波から
救った話しは「稲むらの火」として有名ですよね。そのこともすごいのですが、そのあと
約4年もかけて堤防を作ると言う大工事をなんと私費を投じてやり遂げた事です。
その当時のお金で何と4665両だったとか。いったい今ならいくらなのでしょう。
のちに小泉八雲が彼のことを「生ける神」(A Living God)と賞賛したらしいです。
何だか「ヤマサ醤油」も「耐久高校」も少し気になる存在になったなぁ。
Posted by イズイズ at 09:34│Comments(1)
この記事へのコメント
素晴らしいデス!
「私費を投じて……」 なんて、現在において一体誰が……?(悲)
「私費を投じて……」 なんて、現在において一体誰が……?(悲)
Posted by ペンギンちゃん at 2010年04月20日 02:43